約束

約束

死体処理専門の二級術師、傀儡呪詛師

「眞尋はさ、今呪術師やって幸せ?」

夕餉も済ませて体術練習をしている頃、ふと茅瀬が聞いてきた。心を落ち着かせて技を極める合気道とは難しい、と感じたその刹那、木刀が飛んでくる。

「っ、ぶな...」

「あ、抑えられた」

目に当たる数センチのところで抑え、両手に力を入れる。身長と体格のせいで茅瀬にリーチがある分、私はこうして抑えでもしない限り捻じ伏せられるのは此方側。と言うか、不意打ちは卑怯だろ。

数秒経って力が弱まり、茅瀬はゆっくりと木刀を引いた。抑えた両手を下ろして、マメだらけになった手を見た。そして、茅瀬にも見られた。

「ちょっと、何その手!?」

「え、あぁ...斧握っててこうなった」

「斧だけでこうなる?そんなわけないでしょ、他には?」

「...」

やけに詰め寄ってくる茅瀬に苦い顔をするが、怯むことなく彼も睨む。掴まれた左手首がギチギチと音を立て始め、空に上がる月が私たちを捉える。

そうして折れたのは、私の方だった。

「...死体の、処理で、ちょっと」

「またそれ?普通、補助監督とか他の方がやるもんでしょ?」

「呪力が多いから人の内臓まで見えるんだよ。眼鏡はその阻害、集中したら普通に見える」

「...なにそれ」

掴んだ右手に手を添えて、ゆっくりと撫ぜる。指を一本一本離させて、手首から茅瀬の右手が離れる。顔を上げて茅瀬を見ると、月明かりに照らされた、苦しげに此方を見る表情がある。

「呪術師に誘われたのは体術のこともある。でも、実際には検死の現場に立ち会ったからって言うのが理由なんだ」

「...それだけ?」

「術師の死亡理由は、結構呪霊の特徴を捉える大事なところでもある。何処を狙いやすいか分かってたら知能がある、頭から食ってるなら飛ぶか巨大なやつ、小さな穴があったら極小の呪霊。こんなことがよく分かるんだ」

口に出せば酷いものだと思う。確かに昨今の医療技術は上がっている。けれど、バブルも過ぎた平成の世では変死事件の検死などまともに行われない。そう言う意味も込めて、結局は駆り出される事態になる。

沈黙してしまった茅瀬を見る。そう言えば、質問されていたんだっけ。

「だから、幸せかどうかは知らない。ただ職務を全うするだけなら別に何も感じない。正直、死体を見ても何も感じなくなってきた」

そう。初めて人の死を目の当たりにした時はあれほど怯えていたのに。この業界に来て通常の常識がボロボロと崩れていく。きっと、もう人の死を見ても悲しめないかもしれない。

「私は、今を...一概に幸せとは言えない」

そう言い切って、いつの間にか落ちていた木刀を拾う。十手術を習ったのも、ここに来てからだ。その癖アマチュア以上に習得してしまうのだから、自分の適応能力に笑える。

「...俺が」

ん?と声を出した。振り返って茅瀬を見ようとした時、今度は手を繋がれた。

「ち、茅瀬?」

「俺が眞尋を、幸せって言えるようにするって言ったら、笑う?」

綺麗に微笑んで、私を見る。茅瀬の眼に映る私の表情は、酷く驚愕していた。それもそうだ。普通言わないだろ、こんなこと。

「...笑いはしない、けど。」

「そう。なら一緒にならない?」

「...何に?」

「幸せに」

少し背を丸めて、視線を交わらせる。慈愛を向ける茅瀬の目が酷く澄んでいる。見たことのない視線と熱が、私の身体を貫いている。

「...ふたりで?」

「ふたりで」

「...田代は?」

「彼奴はコーラがあれば生きていけるから平気。ね、眞尋は?」

今度は私が沈黙する。どうしたらいいか、なんて。幸せだなんて知らない。幼い頃から普通に享受してきた現状を、幸せと捉える方がずっと良いに決まってる。

「...どっちでもいい」

「2択、はいかYESか。どっち?」

「それ変わらない...」

「良いから、答えて」

捲し立てて勢い良く、語気を強めて話す茅瀬に、思わず笑いが溢れた。反対に眉を顰める茅瀬を見て、また笑う。

おかしいなぁ、此奴。自分の幸せを見てれば良いのに。

「...ふたりで、か」

「そうだよ」

「...なったら、幸せなのか?」

「幸せになろうって言ってるんだから、幸せでしょ?」

「...そういうもんか」

視線を下に落として、床の木目を見つめる。月明かりが明るいから、私たちの影もはっきり映っている。繋いでいる手から伝わる温度が、冷たくない。人の体温で、温かい。決して冷たくない、死体ではない。

死体を操る茅瀬の体温は、死体と同じではなく、ちゃんと生きてる人の手で、温かい。

「...いいかもね、それも」

漸く答えて、少し経ってから顔を上げる。すると、そこには目を見開いて顔を赤くしている茅瀬がいた。

「茅瀬?どうした?」

「...いま、すっごいカウンター食らったとこ」

「はぁ?」

訳も分からないことをほざいてるなと思い、手を離そうとする。しかし離されず、代わりに小指を結んだ。

「これは?」

「約束。ちゃんとしようよ、お互い忘れないように」

「子供騙しだな、なれるか分からないって言うのに」

「じゃあ縛りを結ぼう」

え、と呟く間もなく、茅瀬は数少ない呪力を指に込める。目線が合い、促すように見つめられる。数秒後に私は折れて、同様に呪力を込めた。

「反動が怖いな」

「一生幸せになれないとかかな、だったら死ぬまで憑いてもいい?」

「よくない」

そんな軽口を叩いて、定石の言葉を吐く。

幸せを願って、呪いをかけた。

そして、そんな呪いが叶うことは終ぞなかったと知るのは、1年後の話だ。


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